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2010年3月 5日 (金)

感想ということ

100301imgp20551_thumb_ran_2 O氏・蘭。

◆ある詩人の作品について、いちばん近い詩人から感想が聞けなかったので、どうですかと訊ねたところ、「忙しくて」と言った。そこで、「忙しいのは誰も同じ。このことも含めて忙しいと言ってくれませんか」と言ったのだが、理解してくれただろうか。

近い詩人たちの評論など、このところ見たことが無い。自作をバラ撒くだけで完了。おそらくひとの詩作品など読まないし、読んでも理解していないだろう。ゆえにその自作たるや軟弱きわまりない。

◆カトリック詩人故高橋喜久晴氏の評論について先日ご紹介したが、幼い頃から「メメント・モリ」がフーガのごとく響いていたという。「死を想え」ということ。そのために、キリスト教や仏教を研究しつづけたという。このような詩人の再び現れることを期待している。

100301imgp20791_thumb_hanakirin O氏・ハナキリン

◆四つ木俳句会の一仲先生が、なんと拙作「憂舟」(うきふね)の俳譚(俳句で綴る物語)を作ってくれました。下町の美人女将が夫に愛されずさびしい思いをしているところに、作家の手引きで「おんな」に変身してゆくというものがたりです。文芸というもののたのしみは、先人が教えてくれた「相互映発」です。

 野上 周 著「憂舟」より  俳譚『憂 舟』   川島一仲

    駒ケ岳霞払いて鎮もれり

    黒々と箱根の嶮を幾重にも

    日射しくる彫刻の森芽吹きをり

    そぞろなる男女の影のやはらかに

    囀りの今も変わらぬ天馬像

    雨上りのかがやく芝に森の影

    恥しき胸の弾みを腕に抱く

    ・・・・・と続いてゆきます。

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